たくそうママの日記

男の子2人のママです!

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中学受験について

始まりは次男の口から出た「中学受験したい!」の一言。我が家には無縁だったと思っていた中学受験。

長男のお友達も中学受験する子がいたので、本人に聞いたら
「他所は他所。僕はしない。」
とハッキリ言ったので中学受験はしませんでした。

次男、何を言い出した?と思いつつ、話を聞いてみると、周りの友達が中学受験をすると言い出したのを聞き、自分もやらなきゃと思ったらしい。

以前にも友達が塾へ行き始めた話を聞き、同じように塾へ行きたいと言った事もあった。その時は塾に行くと課題(宿題)が出るので大変だよ。と説明し塾は見送ることで話が終わったが、子供達の間では塾の話が終わる事はなく、くすぶっていた模様。

改めて本人にやる気と、勉強を優先して取り組めるかを確認したところ「絶対にやる!」と言うので主人と話し合い、本人の意思を尊重することに。

子供の性格は、

  • 負けず嫌い
  • 優先順位が決められる
  • 打たれ弱い

といった感じ。

まず、これから中学受験を戦うために絶対必要な「負けん気」。我が子より勉強ができる子、成績のいい子は当然、たくさんいます。塾ではテストの点数や偏差値が開示され比較されると聞きます。その結果を見ても頑張れる気持ちが続かないと早々に受験戦争から撤退しそう。

次にやることの優先順位付け。友達と遊びたい、ゲームしたい、テレビみたいなど勉強以外にもやりたい事はいっぱいある。その状況で何を優先すべきか、何を諦めるべきかが決められないと自主的な勉強は出来ないはず。今の時点で完璧である必要はないが、先にやる、最後までやらないは自ら選べる事は大事かと。

最後にマイナスな点で打たれ弱いこと。まず間違いなく塾でのテスト結果が公表されたら泣くでしょう。(自分が想像していた結果ではなくて。)これは良くない面が強いので今から現実に触れてもらい、それでも頑張れるなら受験してみようかと思います。一回のテストで打ちのめされて再起不能になるなら、それ以外の無理はさせません。

私も主人も中学受験の経験が無いため、その大変さはネットで見たり、人の話を聞いた程度の理解度。

途中での断念、リタイアもあり得ると思いつつ、まずは挑戦してみることに決めました!
中学受験をするとなれば、まず親がやる事は

  1. 子供の実力把握
  2. 塾選び
  3. 塾代の確認と費用の確保

というこで、これらは別の記事に書こうと思います。

特別支援教室

 こんにちは、たくそうママです。
 働きながらブログの更新をするのは、やっぱり大変ですね。。。
 久しぶり過ぎて、大変さを忘れていました。
 3日に1回、更新が出来たら、良しとしようと思います!

 4年生の秋ぐらいから、やっぱり長男は世間でいう「普通の子」では無いな。と感じ担任の先生に相談しました。
 長男は普通級に通っていて担任の先生も、特に違和感がない子だったみたいなので驚かれました。
 担任の先生から
 「スクールカウンセラーさんが居るので、そのカウンセラーさんとお話しをしてみても良いかも知れない。」
と言われるまで「スクールカウンセラー」の存在を忘れていました。。。

 担任の先生、スクールカウンセラーさんとお話しをした結果「特別支援教室」の入級を希望しました。
 
 「特別支援教室」とは、普通級に通いながら個々に出来ない事や難しい事に対して訓練していく療育的なことを学校にいる時間にしてくれる教室です。

 例えば、
 ☆文や絵の中から必要な情報を見つける能力
 ☆言葉で自分の意思を伝えたり、相手の言う事を理解したりする能力を育ててくれます。
   (コミュニケーションの能力)

 長男は、色々とありますが……
自分の意見を言うのが難しいのと、自分の考えと人の考えとの折り合いをつけるが難しいのと、言葉の意味をそのまま受け止めたりする等で「特別支援教室」に入って訓練をしてもらいたいと入級を希望しました。

 私は入級希望すれば4年生の3学期から入れると思いましたが、教育委員会に行きテストを受ける等、入級の為にしなくてはいけないことが色々あることを初めて知りました。
 こんな事なら1年生の時からお願いすれば良かったと、今でも後悔しています。。。

 書類やテスト結果を待って。。となると早くて5年生からの入級になると言われましたが、それでも良いです!とお願いをしました。
 
 

グレーゾーン

こんにちは、たくそうママです。

「グレーゾーン」という言葉、子育てをしてから知りました。
初めて知った時は、こんな子もいるんだ〜。ぐらいでしたが長男が成長するにつれて
もしかして「グレーゾーン」なのでは?と思いながらの子育てになっていきました。

私が調べたところ発達障害の「グレーゾーン」というのは、
「発達障害の特性が見られるものの、診断基準には満たない状態」
を表す総評みたいです。

なので、月1回の面談の時とかに
「グレーゾーンですね。」
と言われたことがなかったので、気がつくのが遅かったです。それに加えて
「もう面談しなくても大丈夫です。」
と言われたので、何の疑いも持たずに日々の生活を送っていました。

でも3年生で図形の問題を習った時、長男は全くと言っていい程
理解が出来ませんでした。教え方が悪いのか?とかも思いましたが
長男が通う小学校は3年生ぐらいから「算数教室」という習い方に代わり
算数の理解度によって教室を分けてくれるので、一番理解が出来ない子向けの授業で
とても分かりやすく教えてくれる先生だったので「苦手」ということだな。と思ってしまいました。

算数教室は単元が変わるごとに教室の編成も変わります。
図形の単元が終わり分数の単元になると、教室のランクが上がったので、
やっぱり「苦手」と言う事だ。と理解してしまいました。

話は変わって。。。

雨の日の登校時、長男に
「雨が降っているから傘を持って行ってね。」
と言うと
「分かった!」
と言って登校しました。その時期、お友達と一緒に登校していたので家の前で、よくお友達を待っていました。
私は毎朝、長男が家の外に出て友達と一緒に学校に行くのを遠くから確認していたので、その日も見ていました。

そうしたら傘を持った長男が、雨が降っているのに傘をささずに持ったまま、お友達を待っていました!
ビックリしましたが長男に
「雨が降っているから傘をさしてね!!」と言ったところ
「そっか!分かった!」
と言いながら、長男は傘をさしました。

なぜ、雨が降っている時に傘をささなかったのか聞いてみたら
「ママが、傘を持って行ってね。と言ったから傘を持っていった。」
と言う返事が返って来たのです。

その時に気が付けば良かったのですが、こんな感じの事が多々発生していたので
そんなに驚かなかったんです。。。

長男の低学年時代

こんにちは、たくそうママです。

幼稚園を無事に卒園し、同時期に保健師さんとの月1回の面談も終了した長男ですが
低学年時代は、もの凄く忘れ物が多かったです!
多分、私がキチンと確認せずにいたら学年トップだったんじゃ無いかな。。。

冷蔵庫にホワイトボードとマグネットで、翌日の準備が出来るようにしたのですが
面倒くさがりなので、いつの間にか使用されることが無くなりました。。。

長男の学校生活も心配で1年生の時から幼い次男を連れて保護者が行う「本の読み聞かせ」を
月1回ぐらいの頻度で行っていました。
それでも色々と心配だったので2年生からPTAの役員になり週3回は小学校に行きました!
その頃になると次男が幼稚園に行き始めのでPTA役員が出来たのです。

長男のことばかりで次男が
「幼稚園に来て欲しい!」
となったので、この年は幼稚園の比較的軽そうな役員もやりました!

この役員生活、仕事も役員もして〜。
だったので大変でしたが職場の方達の協力もあり
なんとか1年間、勤め上げることが出来ました。
学校の先生とも、色々とお話しが出来たので良かったです。
忘れ物も教室まで届けることが出来ましたし(笑)

忘れ物の件ですが、2年生の終わりぐらいは自分で用意が出来る子たちが、ほとんどになると思いますが、
周りと同じように合わせて、手を出さなかったらランドセルを忘れて登校しました(笑)
これではマズイと思い、一緒に確認をすることが今でも続いています。

忘れ物だけだったら、あんまり気にならなかったのですが長男が成長するにつれて
色々と「あれ?」と思うことが増えていきました。
でも、この時の私は毎日を回すことで精一杯だったので先生に相談することになるのは
4年生ぐらいの時でした。。。

長男の幼稚園での事件

こんにちは、たくそうママです。
長男が幼稚園児だった時のことを書こうかと思います。

長男が幼稚園に入園してすぐに、お友達に怪我をさせてしまったことがありました。
殴る、蹴るとかでは無くて、廊下に並んで移動する際、前に並んでいた子に急に抱きついてしまったらしく
抱きつかれた子は、立っていたのですが、急でバランスを崩してしまい、その前にいた子とぶつかってしまい
ドミノ倒しのように3人とも転んでしまったようでした。

先生から連絡を受けて、2人のお子さんのママさんに謝りました。
先生が並んでいる子を数えている時に起きた事件らしく、先生からも謝罪がありましたが、
コトの発端は我が子なので、本当に申し訳ない気持ちで、今もいます。。。

幼稚園の面談時にも、長男の特性も話しましたし、月に1回行政の施設に行って面談を受けていること等を話したのですが。。。
こんなことが起きてしまい転園も考えました。でも、周りの方々が本当に優しくて(先生も保護者の方も)転園しませんでした。

幼稚園時代に困ったことは、この事件と毎朝のように私と離れたくなくて園庭の中心で泣いて登園するぐらいでした。
制服の脱ぎ着は4歳になっていましたが、まだ出来なかったので制服を引っ張っていました。
今思うと、脱ぐことが出来なかったのは良かったのかもです(笑)

月に1回の保健師さんとの面談も引っ越しで市町村が違うけれど、引き継ぎをして下さり、次男の出産後などを除いて
継続的に受けていました。この時に療育施設を教えて頂きましたが、新生児を連れての療育になることと、実際に通うとなると
難しい距離にあったので、療育施設の見学はしませんでした。
保健師さんにも、
「早生まれの成長なので、そこまででは無いかも知れない。」
と言われたのも、ありました。

無事に卒園をすることが出来て、長男は小学生になりました。

このぐらいの時期に月に1回の保健師さんとの面談も
「出来ることが年相応になったので、もう大丈夫です。」
と言われました。

私は、その言葉を鵜呑みにしましたし、ホッとしたのも覚えています。
正直、幼い次男を連れての通いの面談は大変でしたので喜んでしまいました。

この決断が間違っていた事に数年後に気づきます。。。

このぐらいの時期にミシンを購入しました!
幼稚園グッズは幼い次男がいた為、母に作成をお願いをしていましたが。。。